「仙丈岳」・登山紀行

『日本百名山・登山紀行』

　「仙丈岳」①（夢）



　一面の白い世界。

その場所は、標高２９００ｍ付近。南アルプス、仙丈岳の頂上部に続く白く痩せ

た尾根だった。

　突然、右側から強烈なブローが襲ってきた瞬間に体のバランスを失っていた。

左肩から叩き付けられるようにして白い谷へと滑り落ちた。

瞬間に、体を半転させて滑落停止の姿勢になろうと試みたが、余りの落下スピー

ドに、ピッケルで雪を削るだけが精いっぱいだった。

　ザッー、ザッー。

誰にも止めることはできない。

　次の瞬間、１２本爪のアイゼンが硬い雪面に諸に引っかかったと思ったら大き

く体が浮きあがり、頭から再び白い壁に叩き付けられていた。

　青い空と白い雪とが斜めに接触しながら目の前を回った。

それと、パラレルに今までの人生が走馬灯のように蘇ってきた。

間違いなく加速度的に死へと向かっていた。


　そして、悪夢から目覚めた・・・。

脳裏には足幅だけのナイフブリッジを渡る自分の靴先が脅えながら僅かに一歩を

踏み出す光景が焼き付いていた。


　ふと、気付くと見慣れた自分の部屋だった。

仙丈岳と甲斐駒ヶ岳の旅から戻って、既に２週間が経っていた。

　人間には忘れるという能力が備わっている。嫌なことも、苦しいことも、そし

て、どんなにか深い憎しみさえ忘れることができる。

　時が経てば、あの時の恐怖を忘れ、きっと、透き通るような空の下に広がった

広大な仙丈の白いカールだけを夢に見るのだろうか。


　ただ、私の心は、まだ、あの切り立った仙丈のナイフブリッジの上に置き去り

にされたままのようだった・・・。




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